殺せ殺せの大合唱?

朝日新聞【社説】2006年07月05日(水曜日)付
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女児殺害判決 審理は尽くされたのか

 広島市で昨年11月、小学1年の木下あいりさんが性的暴行を受けて殺された事件で、広島地裁がペルー国籍の被告に言い渡したのは無期懲役だった。

 この事件は、死刑か無期懲役かが注目されていた。

 殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われたホセ・マヌエル・トーレス・ヤギ被告は、裁判で、犯行時には「悪魔」に支配され、善悪を判断する能力がなかったと無罪を主張した。

 判決は「悪魔のせいにするのは不合理極まりない責任転嫁だ」と、その訴えを退けた。

 法廷で明らかにされた犯行の様子は残忍そのものだった。わずか7歳の女児に性的暴行を加え、被告はその姿を見ながら自慰行為をしていた。そのうえで命を奪い、遺体を段ボール箱に詰めて空き地に放置した。遺体には涙を流した跡が残されていた。

 「性的暴行は女性にとって命を奪われるようなものです。あいりは二度殺された」。父親はこう言って、被害の事実を詳細に報道してほしいと訴えた。検察側が死刑を求刑した意味を理解してもらうためにも重要なことだと考えたからだ。

 しかし、裁判所は死刑を選択しなかった。被害者が1人だったことや、前科がないことなどを理由に、更生の可能性がないわけではないと述べた。

 だが、前科がないという理由には疑問がある。ヤギ被告は母国ペルーで女児に対する性犯罪で2度告発されている。その点については検察側が証拠を出すことができず、審理が尽くされなかった。犯罪歴をきちんと審理していれば、結論が変わったかもしれない。

 死刑を選択するかどうかについて、最高裁は83年に基準を示している。犯行の動機や殺害方法、前科、被害者の人数など9項目を判断の条件に挙げている。

 判決はその基準に沿ったものだというが、基準の中には犯罪が社会に与える影響も含まれている。子どもをねらった凶悪な犯罪が各地で相次ぎ、親たちの不安が募っているだけに、それも考慮した判断があってもよかったのではないか。

 この裁判はもう一つの点でも注目された。裁判所と検察、弁護側が事前に協議して争点を絞り込む公判前整理手続きに加え、短期間で集中的に審理をする方式がとられたからだ。導入が決まった裁判員制度のもとで行われる裁判のモデルケースと位置づけられていた。

 争点は殺意の有無など4点に絞られ、初公判から連続5日間の開廷で証拠調べを終えた。短い期間で濃密な審理を展開し、重大事件では異例ともいえるスピード判決となった。ただ、検察側が短期間に十分な証拠をそろえられなかったのは今後の課題だろう。

 子どもを対象にした性犯罪は再犯率が高いという調査もある。もし仮に一般の人々から選ばれた裁判員がこの事件を裁いたとしたら、果たしてどんな判決が出ただろうか。